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いまになってわかること。
いまになってわかること。_e0125766_4164149.jpgこころがザワザワするとき、
わたしはケーキを焼いたり、引き出しや棚の整理整頓をする癖があります。

数日前、昔の写真や手紙を整理していたとき
栗にもらった手紙を見つけました。




2001年の夏。
カリフォルニアの大学で栗と出会ってから半年ほど経ったころ。

私は夏休みを利用して、
インターンシップをするためワシントンDCに来ていました。

そしてわたしとは違って、短期の交換留学生だった栗は
わたしがワシントンにいる間にドイツに帰るはずでした。
そして遠距離恋愛をするつもりのなかった栗は
わたしたちの短いおつきあいもおしまいに。
(なんともものごとには白黒しかないと主張する栗らしい結論・・・)


そんななかワシントンのわたしのところに届いた1通の手紙。
その中にはドイツに帰る時期を10月末に延ばしたことが書いてありました。
そしてインターンを終えてカリフォルニアに帰ってくるわたしのことを待っているということも。



もちろんとっても、とってもうれしかった。
彼が滞在を延長したことが。


きっと彼のその決断がなかったら
わたしたちはいまごろ一緒にいなかっただろうし。


でもそのときはわからなかったことで
いまになってわかることがたくさんあるんです。
彼にとってその決断がどれほど大きなものだったのかということ。


彼の家族・家庭のこととか、
彼の将来の計画とか、
それを守ることの大切さとか、
金銭的なこととか、
精神的なこととか、
かれの心の変化の大きさとか
あれとかこれとか。



わたしが当時うれしかったのは、
そして喜んだのは
誰のためでもなく、わたしのため。



そのときは栗がこんなにややこしい人間だとは思ってなかったし(笑)。


でもあらためてまたその手紙を読んだとき、
そのときよりも、彼の気持ちが伝わって
胸が苦しくなって涙が止まりませんでした。



「いま」というものはきっと
タイミングとか、機会とか、偶然とか、必然とか、いろいろなものが重なってできていて、
そこには自分の欲求とか、エゴとか、気持ちとか、希望とかそういうものも重なって、
自分でも気がつかないうちに小さな選択を繰り返しながら前に進んでいるんだとおもいます。


そして、そのときは「いま」に一生懸命で
あとになってわかることってたくさんあると思うのです。


でもそれは自分の「過去」を後悔するとか否定するとかそういうこととは違うこと。
ただ時が経たないとわからないこともある、ただそれだけのこと。



不器用なわたしたちは、
「過去」を変えようとしたり、
理由を考えたり、
つじつまを合わせようとするけれど、


もちろん時には振り返ったり、
立ち止まったり
休憩したり、
寄り道したり
そんなことも大切だけど


わたしたちにできることは
「いま」を生きることだけなんだろうなと思うのです。


自分のために、
そして自分を愛してくれるすべてのひとたちのために。
by kuschel_hase | 2010-05-28 04:56 | ひとりごと
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